永井守・公式サイト

https://mamorunagai.ninpou.jp/

dark or light switch

ストレージクリア

ナンバー1よりもオンリー1になりたい人へ。
大人も子供もない。
人であるためのインストラクション。
そして、有名無名の123人がつづる。

「愛の言霊」

このサイトは、写真家永井守の公式サイトとして開設しました。

初めての方は、最初にこのサイトについてをお読みください。

タカトシ大人になるな男になれの紹介

タカトシ大人になるな男になれ表紙画像

  • 著者:永井守
  • 発行所:(株)アミューズブックス
  • 定価:1500円
  • B5判 保存版
  • 本の表紙
永井守・印

はじめに

2000年7月~8月の1ケ月間、「人に貴賎をつけてほしくない」との願いを込めて、永井一家3人(父、息子、娘)と友人の4人でインド・ネパールを旅してきました。子供は嫌がっていたのですが、永井一家でマザー・テレサの身障者の施設でボランティアも経験しました。そして2001年3月、4年かかって息子・貴年が高校を卒業し、卒業と同時に一人でインド・ネパールに旅立ち7ケ月かかって、旅をしてきました。息子が“父に守られてではなく自分一人の足で歩きたい”ということから自分の稼いだ金で旅が始まり、途中いろいろなことがありましたが無事帰ってきました。

この本の内容は、第一章・第二章・第三章とあります。

第一章:「貴年」
20歳という大人の仲間入りに向けて、親である私が、今までかかって聞き、習い、憶えた、貴い年を過ごすための、知識や智恵を伝え送る。
第二章:「TAKATOSHI」
貴年が歩いた、7ケ月間のインドと日本のメールのやりとり。そしてカメラマンの私が初めて見たインド・ネパールの写真。
第三章:「タカトシ」
私の尊敵する、123人(いち・にーの・さん)の方達に第一章と第二章を読んでいただいてコメント・メッセージ、生き方の智恵・座右の銘などを短くまとめて書いていただきました。

すべての人が「生きる」ということが初めてのことです。子供を持つ私ですら子供が知っているのに、私が知らないなんてことが多々あります。いまだに、たくさんの人に教わっています。生きていると恥もかきます。良い生き方のできない人は、良い死に方もできない、といいます。そして地球の3分1の人達が正直な人になれば、この世には戦争も起こらず平和に過ごせるらしいです。ついて行くのが大変なくらい、時代は急速に進んでいます。しかし生きていかなくてはなりません。

この本を何らかの緑で手に取られた方々には、この白い本か手垢で汚れ、一つ一つ黒く塗りつぶし、最後には燃して、あなたの体温の一部となることを願ってやみません。一人でも多くの方々に読まれることを願っています。
そして、この本が、貴い年を過ごすために少しでも役にたてれば、しあわせです。

2002年1月25日 永井守 44歳

天国の妻へ

1990年12月9日 ママがガンで天国へ旅立つてから、11年になります。

モモは16才、貴年が20歳になりました。貴年はとうとう大人の仲間入りをすることになりました。

私も44歳、「大人とは?子供とは?人間とは?」ということが、2000年12月頃から急にわかってきたように思います。

いろいろありました。ママが天国に行く直前に私に「モモと貴年のことなんか、何にも心配していないわ心配なのはパパよ!」と言った意味が、最初はわからなかったのですが、やっとわかるようになりました。

ママが言ったように私のわがままで、貴年・モモをはじめたくさんの人に迷惑をかけてきたように思います。

でも一つだけ、私の心の中で誇れることがあります。誰よりも貴年・モモと真剣に向きあってきたということです。心のなかの威張りがあります。

それというのも、「私が死んだらモモと貴年は片親になってしまう。どんな子でも片親の子は歪んでしまうのよ」確かにその通りです。

でも、良いふうに歪んだらいいんですよね。「自慢の息子と娘です。我が子なのに他人のように二人の行く先が楽しみです。

こんな素晴らしい子供達を残していってくれて感謝しています。

寂しくて、苦しくて、死のうと考えたことも何度かあります。その度に貴年とモモに救われました。

いつでも二人の子供達がママの変わりに私を支え、私を育ててくれました。感謝しています。

ママが死ぬ前に、貴年とモモにどうしても伝えたいと言っていたけど叶わなかった、大人になるための人生の過ごし方、教訓や生き方。

多少のズレはあるでしょうが、大人の仲間入りをする貴年に、そして貴年とモモを支えていってくれるであろう友達に、男になりたい男達に、ママから教わったこと、たくさんの人から教わったことを少しですが、伝えたいと思います。

貴年とモモが、たくさんの友達が、健康で元気に生きていって欲しいから、ママに誉めてほしいから、この本を作りました。誉めてください。

ps.腕も動かず、ひとりでは起き上がることも、ままならぬ時、ひとりで起き上がり両手をついて「ありがとうございます。」と言ってくれたこと、今でも憶えています。そして「みんな元気」です。次に会えるのを楽しみにしています。

ママヘ

永井家十訓

  • 人生を楽しむために、一生、音楽を続けなさい。
  • 笑顔を忘れないこと。
  • 大人なんかならなくていい、男になりなさい。
  • 勇気のある人であること。
  • 毎朝、毎晩、ご先祖様に声を出してお祈りしなさい。
  • 夢を忘れないこと。
  • 妹と仲良くすること。
  • 元気でいること。
  • ママの誕生日に花を贈ること。風に揺らぐ可憐な花を!

ママとタカトシ

永井守昭和33年1月25日鹿児島県馬毛島生まれ
永井もも昭和60年3月10日東京生まれ
ママと貴年の写真
永井貴年昭和56年9月10日東京生まれ
永井邦代昭和23年3月14日横浜鶴見区生まれ

永井守

Mamoru Nagai

写真家

  • 1957年・鹿児島県馬毛島生まれ。幼年期を種子島、青年期を大阪北河内で過ごす。
  • 1980年1月、大阪より上京、同年3月アートセンタースタジオ入社。
  • 1981年退社。スタジオ時代から磯辺重美、河野千年、立木三郎、長末正忠、山岸伸などのアシスタントを経て、フリーとして独立。
  • 1981年、東京原宿の歩行者天国にて、ローラー・一世風靡等を撮り始める。仕事としては、ファッション・物・タレント、すべてのジャンルにとらわれない写真家として活動を始める。当時最年少の年鑑入りファッション・カメラマンとなる。
  • 1983年10才年上の大野邦代と結婚。この頃、売れっ子カメラマンにもかかわらず3ヶ月間も、インド・ネパール・タイに作品撮りに出かける。この後、長い間ファッション等の商業写真をやめてしまうが、ある時期を過ぎ、すべてのジャンルこだわらない、という本来のスタンスにもどり、写真を撮り続ける。
  • 1990年、最愛の妻を1年半の闘病のあと亡くす。この時、夢を売る事だけが自分の使命と感じる。友人のミュージシャン達とライブ活動・原稿の執筆や写真だけに留まらず、永井家3人による徒歩での四国88ヶ所巡りなど、夢を売る事を追求し続けている。
  • 現在、オノ・ヨーコの日本専属スタッフ。
    フォト・セッションを得意とし、一貫してジャンルにとらわれないカメラマンとして戦い続けている。

このサイトについて

ようこそ、「タカトシ大人になるな男になれ」にお越しいただきまして、ありがとうございます。

このサイトは、「タカトシ大人になるな男になれ」という本をより多くの人に知っていただく事と、永井守の公式サイトとして開設しました。

本の解説ではなくて本に書かれていることを、出来るだけそのまま載せていますので「タカトシ大人になるな男になれ」を、本屋で立ち読みするような感じで見ていただければと思っています。
また、永井守という男を、このサイトで表現していけたらと思っています。

この本は、父親が息子に宛てた非常に個人的なものに感じますが、書かれているメッセージは今日改めて考えさせられるように思います。
皆様が、どのように受け止めていただけるは分かりませんが、何か感じ取っていただければ幸いです。

注意事項

このサイトへのリンクは、ご自由にどんどん張ってください。リンクを張っていただく場合、何処に張っていただいても構わないのですが、出来ましたらトップページ(index.html)にお願いします。

このサイト内のすべては、永井守と(株)アミューズブックスに著作権がありますので、商用・私用を問わず無断でのご使用・再転載は、固くお断りいたします。
特に写真に関しましては、公の場では一切使用できませんのでご注意くださいませ。

永井守への仕事の依頼は、管理者の私(カゲやん)ではなく、直接、永井守までご連絡くお願いいたします。