永井守の言いたい放題

宇梶剛士

宇梶から電話があった。

「宇梶です、あのー、お願いがあります、本を出すことになったんですけど、表紙の写真、どうしても永井さんに撮って欲しいんです」

「・・・おっ、ええ話やないか、うれしいなー、任しとけよ」

「あのー・・・、ギャラ凄く安いと思うんですけど」

「何ゆうてんねん、そんなもん心配すなよ」

ふと20年近く前の「・・・」事を思い出した。

「宇梶です、あのー、お願いがあります、 ギリシアに行くことになったんですけど、どうしても永井さんと 行きたいんですがお願いできませんでしょうか」

「悪いな、今大きな仕事を抱えているから、一緒に行けない」

断った後も、事務所から何回もお誘いの電話があったが、丁重にお断りした。

「宇梶です、あのー、お願いがあります、どうしても一緒に行って欲しいんですけど、永井さんが来てくれなかったら僕もギリシア行くの辞めます」

結局、仕事は断り宇梶とギリシアに行くことになった。宇梶に頼まれると嫌だと言えない不思議な力がある、それというのも本来持って生まれた人柄と仁義を欠かさないからだと思う、約束は絶対に守る、良く気が付く、体は大きいものの全てを愛らしい笑顔で丸め込む術を心得ている。
売れっ子になって忙しくなり自分の時間も無いはずなのに、私のことを気遣って定期的に連絡をくれたり、私の息子や娘の誕生日には必ず連絡が有り、プレゼントまで買ってくれる、ただただ頭が下がる思いで一杯だ。

宇梶とはかれこれ20年の付き合いになる。知り合ったきっかけは、
「暴走族の大将をやっていて、少年院に入り、少年院の中で勉強して高校に入り、卒業して役者を志しているのがいるけど、撮ってもらえませんか」と話が来た、面白そうなのでとりあえず一度、撮ってみることにした、つまらなかったらそれきりにしようと思っていたが、何か?何かがあった。
私の目を見据え、私の話す言葉を一言たりとも聞きのがすまいと一生懸命さが伺えた、生意気そうだが礼儀正しい、何もかもが荒削りで、人でも殺しかねないような殺気が体中からあふれていた、気にいった!。
当時の私は今は亡き10才年上の妻と一緒になったばかりの頃で、一世風靡や雑誌のグラビアや表紙を撮って売れっ子でもあった???。
少しでも上に上がってやると一生懸命の時期でもあった、何よりも少し前の私とだぶり、同じ血の臭いがした。
兄弟のいない妻は、私たちを兄弟みたいと喜び、惜しげもなく飯を振る舞っていた。生きていたら誰よりも喜んでたに違いないな。>それよりも妻が宇梶の事を気に入り、私よりも大事にしてたくらいだ。あっという間に仲良くなり、お互いの時間を合わせ写真を撮るようになっていた、写真を撮るたびに、今までは誰にも見せなかったボツにするであろう、全ての写真を見せ顔を付き合わせ、ここがいい、ここが悪い、ここを直せと説教しまくった、あげくは現像まで付き合わせたりもした。
兄弟のいない妻は、私たちを兄弟みたいと喜び、惜しげもなく飯を振る舞っていた。
生きていたら誰よりも喜んでたに違いないな。

酒に酔った勢いで一度ならず何度も、電話を掛けて呼び出し、正座のまま1時間近くも説教してしまったりと散々迷惑を掛けて来たが、嫌わないで今までどうにかこうにかお付き合いして頂いている、本を読み私の知らない不良品の宇梶に出会ったが今までの無礼の数々どうか許してちょうだい、愛してるから許してね、これから先もどうか仕返しなどを考えずお付き合いして頂きたい、本当に元気の出る本をありがとう、素晴らしい本です。
一つの映画を見た想いがします、反対に一つの映画のシナリオのようにも思えます、さすが脚本家で演出家ですね、後々映画に成ることは間違いないでしょう。一緒にセッション出来たこと光栄に思います。

“どんな鳥も想像力より高く飛ぶことはできない” これは寺山修司の言葉だ。

寺山修司の口癖を知ってるかい?
「職業は何ですか?」という質問にこう答えるんだ。
「職業は、寺山修司です」

宇梶も職業を俳優なんて肩書きで括らないで、いつも堂々と世界に向かって叫んだらどうだ。
「オレの職業は、宇梶剛士だ!」と。次回作も期待してます。

永井守 拝

不良品・俺は既製品じゃない!(著者:宇梶剛士)