人は元来孤独である。
だが、人が生きている以上、何等かのつながりを持っている。決して孤独ではない。
孤独が好きという人が居たら、本当の孤独を知らないのだろう。
もし、孤独を知ったら生きて無いだろう。
本当に孤独になったら、人は生きていく事は出来ない。
dark or light switch
人は元来孤独である。
だが、人が生きている以上、何等かのつながりを持っている。決して孤独ではない。
孤独が好きという人が居たら、本当の孤独を知らないのだろう。
もし、孤独を知ったら生きて無いだろう。
本当に孤独になったら、人は生きていく事は出来ない。
私は、聞く耳を持たなくてもいいと思う。
なぜなら、聞く耳を持たなくなった時から老化が始まるのなら、初めから持っていなければ老化は始まらない。
俺の心は大地とひとつだという本に、極北周辺の部族の話として下記のような話が掲載されていた。
裏切らない事は、大切な事である。
だが、私は思う。
裏切るなと言うのは、人を束縛する事になる。
人の考えや行動は自由だし、それを奪うのは好きではない。
自分の都合や考えの中で、他人を治めてしまうというのは、本来してはならないと思う。
おいおい、何を言うねんと言われそうなんで、これ以上は止めよう。
これは、私はなんとも言えんなぁ。
なにせ、結婚というものをしていないのや。
結婚は相手があって出来るもので、残念ながらお相手してくれる女性がいないのじゃ。
そんな私が、結婚について述べるは無理や。
転ぶ事を、恐れてはいかん。おおいに転ぶべきではないか。転ぶ事で、転んだ時の対処というものが身に付くのではないだろうか。
子供の頃の歩き始めには、良く転ぶものです。
子供は、転ぶことで身を守る転び方を身に付けていくものです。これを、危ないといって支えていたら、支えの無い時転んでしまったら、転び方を知らすに大怪我になりかねない。
この事は、人生でも同じではないのかな。
まぁ、私のように、立って歩くより、転んでいるほうが多いのも考えものですが。
私の場合は、転び方より立って歩く方法を覚えなあかんなぁ。今からでは、遅いかなぁ・・・。
優雅や雅というのは、私には正直まったく解りません。
どうゆう生き方でも、自分らしくそして皆が幸せだと思える生き方をしたいものです。それが優雅や雅と程遠いものであっても、それはそれで良いと私は思う。
お金がどんなに有っても良いし、また、無くとも良い。お金が有ったほうが、実際には生活はしやすい。
お金が有って地位や名誉得て、優雅にそして雅に生きて幸せであったら、それに越した事は無いのではないだろうか。
有り余れば、皆に分ければすむ事です。
私には、親友の定義は無い。
私自身が、親友だと思えば親友だからです。相手はどうだか解らないけど。
なんだかんだと理屈では語れないから、親友だと思う。逆に、理屈で語れるようなら、親友ではないのかもしれません。
もっとも、親友だけではなく、人と人の付き合いに理屈や定義は要らない。
私は、いろいろ考えて付き合うほど器用でもなければ、頭も良くないです。
私も、同じ事を何度も言う事が多い。
前に言った事を忘れていて言う事もあるが、あえて何度も言う事も有るように思う。
自分の目自分の肌で感じる事、もっともである。
情報に惑わされてはいかん。
もっとも、私のような近眼は、自分の目でもよう見えん。
どうすればいいのだ?
私は、生きる事が趣味です。
私の場合、仕事だと生きるのが嫌になりそうだ。