言霊を調べていくうちに、 ルル・ラブア(日本女性人)占星学界の第一人者のエッセイの中に、
と書いてあった。
これは・・驚いた!私の思っていた通りです、そもそも私は音楽をやりたくて上京してきたのだけれど、知らず知らずのうちにカメラマンという職業に就いて生きてきた。
趣味のレベルではあろうが友人達とバンドを作り活動を続けてはいたが志が合わず、何年も続けていたバンドが自然消滅してしまった。それでも何人かの友人、家族を巻き込み、知人の葬式などで歌を歌っている、つい最近も知人の一周忌の法事の席で歌ったばかりだ。
葬式などの張りつめた空気の中で歌を歌うと、亡くなった人が幽霊になって、その場にいるかいないかはハッキリと解る!。感覚的なものなのだが頭の中が白くなるのである、酒を飲んだ時に頭がボーとする感じと言えば伝わるだろうか、歌うときに大事な冷静さを欠き、ギターなど弾きながら歌うと上手く弾けず、歌だけに集中するしか無くなってしまい、ほとんどアカペラ状態で歌うことになってしまう。
反対に死んだ人(幽霊)が近くにいない場合にはいつもと同じ状態で冷静にギターを弾き、歌を歌えるのだ!。
私の大好きな黒人の音楽であるゴスペルなどというものは語り、歌っているうちに周り全てがハイになり違う世界へ導かれて行きます。
何となく歌を聴いたり歌っていたりしていたときに気がついたことがある、「青い空」とか
「海」・「雲」・「風」・「花」・「愛」などと身近な風景、簡単な短い詩ほど頭に入って来る、それから沖縄のことを歌った
「さとうきび畑」という歌がある、 「ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ」この風の音を文字にした「ざわわ」。
短い言葉が心を打つ、難しい言い回しの長い詩はあまり頭に残らず心に響かないのである。
水に綺麗な言葉や音楽を聞かせると結晶を作り、きたない言葉やうるさい音楽を聴かせると 結晶は崩れてしまいます。
多くの人は言霊ということを意識してはいないが、この名残があるために一年に一度、年の入れ替わる初詣などに繰り出し手を合わせて神様に願い事などをするのだと思います。
私が思うには、神様に願い事をするときなど大切なのは、お参りする前に願い事を、思いつきではなく、言葉短くまとめてから”雑念を払い、心を清らかに、気持ちを集中させ、出来るだけ、言葉短く、声に出してお願いする”ことが大事なのではないだろうか。
愛する人に「愛」を告白するときなど多くの言葉など必要としないし、告白するために気持ちと環境という条件を整えてから告白するではないでしょうか、本能的に人間は言霊の存在を知っているに違いないと思う。
私を含め、現代人はあまりに無意味なおしゃべりをしすぎているようです、話をする(言霊を発する)ということは、非常にエネルギーを浪費する作業なのです。
言葉には物を想像させる力があります、言葉に音をつけたら音楽になります、するとより多く想像する世界が広がります、神聖な場所で、格調高い姿で言霊を使うとより多く伝わるとおもいます、もう一度、美しい言葉(言霊)を見直して使ってみたらどうだろうか、皆が優しくなれるような気がします。