私のような者には、お経などというものは漢字ばかりで、なにやら呪文のようなものにしか見えない。
なぜ良い事を書いてあるのなら、私のような者にも、もっと解りやすい言葉にしてもらえんのだろうか?
仏教の創始者であるお釈迦様は、その人の言葉やその人の目線で説法したと聞きます。なのに今のお経は、サッパリ解らんではないか。お経はありがたいものだとか、これをただ読めば良いとかというが、私は、何のことやら理解に苦しむ。
私が思うに、なにやらわざと難解にしているのではとまで思えてしまう。こんな事を言うと、怒られるかな?お前が、頭が悪いからなどと・・・言われるまでも無く、確かに、私は頭が悪いです。
こんな難解な物にしているから、死後の世界はどうたらとかと、なるのではないだろうか?仏教は、死者の為にあるようななどと、間違ったものになってしまうのではないだろうか?
私が思うに、仏教は人間がこの宇宙の中でどのような立場かを知り、いかに生きるかという事を説いているのではないのかな。今を生きている者の為の法ではなのだろうか。
私が聞きかじったところによると、お釈迦様の弟子が、お釈迦様に死後の世界はどうなのか?と訊ねたら、おろかな事を考えるでないというような事を言ったということです。
仏教というのは、見えないものや、見えてるけども本質を捉えていないものに、惑わされないように導くための法ではないのかなぁ。
お経は、その為の道しるべなるものではないかと思う。