永井守の言いたい放題・うんちく

修羅場

本当に人を判断するときに一番大事な事とは修羅場である。
普段の行動ではなく修羅場の時に、その人の性格が裸になりおもしろいように見えてくる。この修羅場の時に見極めるといい。

お互いに修羅場も経験しないで憶測だけで人を判断してはいけません。
人は修羅場の数だけ見えない気というオーラを出します。これが見れるようになったら大したものです。

修羅場を好まない普通という世界の人でも友達と連れ合い、キャンプや旅行に出かけるでしょう。一緒に過ごす事によって偶発的な修羅場を経験して受け入れられる範囲で友達としているのですよ。
恋愛や友情も修羅場を経験してから深くなります。

人は皆、全ての始まりが初めて(ファーストタイム)です。
初めての事に遭遇するのが感動であり修羅場なのです。
勇気を出して一歩前に進んでみると新しい世界が見えて来るはずです。

正しい武道の世界では全てが技術であるという。
技術と言う引き出しがどれだけあるかが大事なのである。
引き出しが多く深いというのは、どれだけ神経をとぎすませ気を配っているかという事です。

修羅場2 蛇足・カゲやんの目

雅(優雅)とは

知人に車を貸した、貸した時よりガソリンが少なくなって帰って来た。
人間だって飯を喰う、車の飯はガソリンである。満タンとはいわないが働いた分だけでも飯は食べさせるべきだろう。だからといってガソリンを入れろとはいえない。

相手の気持ちになればおのずと解る事であるが、気がつかなかったのだろう。借りたら返す、使ったらせめて元に戻してあげる。
このことに自分で気づいてほしいな、見えない所に気を配って雅の心は培われんのやけどな。

雅(優雅)とは2 蛇足・カゲやんの目

誉め上手と誉められ下手

人にはそれぞれ、いってもらえると嬉しい言葉というものがある。
例えば、それは顔や髪型やファッションなど外見のことだったり、性格や考え方や自分だけの信念とかいった内面的な部分だったり。
私だって、誉められることに悪い気はしない。
外見を誉められたなら顔がにやついてしまうし、内面を認めてもらえた時には舞い上がってしまう。
誉め言葉に弱い部分というものがあるが、まさにそこを突いてもらった時には、単純な私の頭の中では笑いがしばらく止まらない。

小さい頃は、誉められることがうれしかった。
親に誉めてもらいたくて、手伝いをした。先生に認めてもらいたくて、テストでいい点数をとった。学生時代は、彼女に誉められようと喧嘩までした。だけど、注意されたり叱られたりすることの方がはるかに多かった。
気にしている部分をなじられ、もともとの性格をああだこうだ言われ、最後には「あかんやっちゃな」と締めくくられ、悲しい思いもした。

それなら「君ならできる」攻撃で、乗せてしまおう。
お母さんは、我が子を世界一のいい子と誉めちぎろう。
彼女には、「愛してる、可愛いい、大好き」と言い続けよう。

だけど、昔から、注意されたり叱られたりする度に、歯を食いしばり、メラメラと闘志を燃え滾らせたあの感触が甦った気がした。

誉められることはやはり嬉しい。
だけど、その瞬間は嬉しくてやる気が起こるが、あまり長続きしない。逆に、叱られた時こそ、「いつか見てろ」の精神で這い上がって行ける。その上、誉めてくれた人より、叱ってくれた人の方が完全に印象に残る。
もちろん、「いつか見てろ」の標的として。

人それぞれ、どっちを好みとするかも違うだろうし、どっちがいいとも言えないだろう。だけど私は、誉められるのも嫌いではないが、叱られる方が断然ありがたみを感じる。

使い方を間違わないように。

誉め上手と誉められ下手2 蛇足・カゲやんの目

相談ごと

いろんな相談を受ける、人の悩み事を他人の俺が解決なんて出来ない。
ただ自分だったら、こうした、こうするであろうという話はする。 参考になって貰えれば幸せだ、相談する人は薄々ではあったとしても答えは出ているのである。後押しが欲しいだけである。結局は自分で判断し自分で決断させるしかない。

そして最後に「頑張れよ!」では無く、
「元気と笑顔を忘れんなよ(^-^)」と言って別れる。

相談ごと2 蛇足・カゲやんの目